黒木玄

算数教育業界全体が掛算の順序に強くこだわる教育を推進している。 算数教育業界には具体的状況を式だけで忠実に表現させようとする習慣があり、式だけを見て具体的状況が一意に決まるということになっているらしい。 たとえば、算数教育業界では、「6人に7個ずつ飴を配るときの飴の総数」を「6×7」と書くと、6人の7つ分で答えが人の人数になってしまったり、6個ずつ7人に配るという意味になってしまったりする場合がある。しかし、世間一般では、「6人に7個ずつ配る」という文脈で「6×7」と書いても、6人の7つ分で答が人の人数になってしまったり、6個ずつ7人に配るという意味になってしまったりすることはなく、文脈から「6×7」は6人に7個ずつ配る様子を表わしていると解釈する。算数教育業界にはこのような常識に真っ向から対立するスタイルで「具体的状況を式で表わすこと」を教えようとしている。 算数教育業界では「具体的状況を掛算の式で表わすときには、一つ分×幾つ分の順序で式を書かなければいけない」とされている。一般に、同じ個数を含むグループが幾つかあるとき、一つのグループが含む個数を「一つ分の数」と呼び、グループの個数を「幾つ分の数」と呼ぶ。もちろん「一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールは世間一般では通用しない。実際、小学生の大会であっても4×100メートルリレーという言い方をするし、我々の社会では単価×数量と数量×単価のどちらの流儀も普通に使われている。さらに、そのルールを仮定しても「6人に7個ずつ配る」という状況を「6×7」という式で表わすことは誤りにはならない。なぜならば、トランプのように6個ずつ7周配る様子を想像しながら、6を一つ分の数、7を幾つ分の数とみなせるからである。トランプ配りの考え方を一般化すれば、一つ分と幾つ分の考え方のもとで、掛算の交換法則は「一つ分と幾つ分の数の立場をいつでも自由に交換できること」を意味していることがわかる。だから、「6×7」のような式を見ただけで「一つ分×幾つ分の順序ではない」と判定することは、掛算の交換法則の意味を理解していれば、常に不可能だということになるのだ。